ほっぺは別腹

ナースが描く育児まんが

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延命治療

看護師として様々な患者さんの最期の時に立ち合ってきて、延命治療がいかに患者さんを苦しめ、辛い時間を引き延ばすかということを実感しています。

統計的なデータでは、多くの高齢者が(7〜9割とか)延命治療を望んでいないとのこと。それなのに、現場の実感として延命治療を施される患者さんはとても多いです。不本意ながら、ただ命を永らえさせる処置をこの手で、何度も実施してきました。

長く働くうちに、延命治療を断ろうとする患者やその家族に立ちはだかるいくつもの壁の存在に気付きました。

そしてそこには、自分の両親や家族に、無用な延命治療を施されないためにはどうしたら良いかのヒントがありました。

まだまだ先の話、なんて思っていませんか?今から準備できることも意外とあるのですよ。

 

 

 

 

延命治療がなくならない理由と、打開策

いざ、死を目前にした患者の姿を見ると耐えられない

本人の意思が最も重要視されますが、本人に意識がなかったり判断能力が乏しい場合、延命治療をするか否かの判断は家族に委ねられることになります。

大切な人に、もっと生きていてほしいと願うのは自然なこと。

本人がどうしてほしいかわからない、という場合はもちろんですが、本人が延命治療は望まないことを知っている家族でも、いざその時になると判断が難しいのは想像に容易いことです。

そして患者さんが亡くなってから、後悔を語る家族の方も…

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打開策:元気なうちに、家族で話し合っておくことができれば理想的ですが、全ての状況を想定して話し合うというのは無理があります。

個人的には、「延命治療ってどう思う?」程度で良いのではないかと思っています。突き詰めすぎると柔軟性が失われるし、致し方なくそれに背いた判断をした時に後悔することになるからです。

 

家族全員の同意を得ることの難しさ

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患者に寄り添い、長く悩み苦しんできた家族が出した「延命治療をやめる」という決断に、突然現れた家族や親戚が猛反対。結局延命治療を続けることになるパターン、本当によくある…と思っていたら、「カリフォルニアから来た娘症候群」という名前がついてる事象でした。

 

打開策:病気の進行状況や治療方針、本人と家族の重要なやりとりは遠くにいる家族や親戚ともできるだけ共有するか、日記などに残す(カリフォルニア娘化したら読ませて説得する)。

あと自分がカリフォルニア娘にならないように注意。

 

医師からの再三の確認にたじろぐ

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一度は決めたものの、そう何度も確認されると迷いがでてきそうです。 懸命に、命を存えさせようと努力する医師に申し訳ない気持ちになる場合もあるようです。

 あとは残念ながら、結局は医師の能力や考え方、告知の仕方次第、と思えることも多いです。

 

 

打開策:医師は希望する人に治療を施す義務があるので、入念に確認しているだけだと知る。

よくわからないから医師にお任せする、の危うさを知る。

 

自動的に転院もしくは退院となることへの戸惑い、煩わしさ

例えば急性期病院に入院中、延命治療を受けない選択をすると基本的には自宅に退院するか、転院になります。高度な医療を必要とする患者さんが入院を順番待ちしているし、救急車を多く受け入れるべき病院だからです。

転院となれば当然主治医も変わります。

より専門性の高い医療を受けられる仕組みではありますが、「さじを投げられた」と感じる患者さんもいらっしゃるかと思います。

医療者との関係を築き直さなくてはならないことや、それぞれの病院とのやりとり、日程調整など煩わしいことが多いです。

高齢の患者さんには環境の変化による影響も小さくありません。

 

 打開策:どちらにしても長期入院は国の施策(医療費削減)で採算が取れない仕組みになっているので、病気だからと言って同じ病院に長くはいられないことを知る。

信頼できるかかりつけ医(往診、訪問診療してくれるような地域の病院の)を元気なうちに探しておく。

 

小さな判断ミス

・自宅で自然に看取るつもりでいたのに、急変した時あわてて救急車を呼んでしまう。→迅速な救命処置により、あっと言う間に挿管(人工的な呼吸器につながれる)されて意識のないまま数ヶ月生かされてしまう。

・急にその時が来て、早急な判断を求められ、つい「お願いします」と言ってしまう。

 

 打開策:状況が変わる度に、今、その時がきたらどうするかを考えておく。

 

患者本人の気持ちも変わる

広義で言えば、治癒が目的でない抗がん剤治療(術後の補助療法など治癒を目的とする場合もあります)なども、延命治療のひとつです。この場合、治療のやめ時の判断が重要かつ、難しい判断になります。

 ちなみに告知例↓

「手の施しようがない、余命は◯ヶ月」

「治療すれば数ヶ月から数年の延命が期待できる」

「治療した場合の5年生存率は◯パーセント」

思ったより曖昧な告知が多いですよね?患者本人でも、判断に迷うのは当然だと思います。治療を続けていくうちに、気持ちが変わるということも十分に考えられます。

 

対策:本人の気持ちを尊重する。惰性で漫然と治療が継続され、望まない延命治療となっていないか気にかけておく

 

 

最後に 私自身について

私の両親は以前から、「延命治療はしたくない、意識もないのに命だけ永らえさせるようなことはしてくれるな」と意思表示をしています。そして私はその希望に沿うことに、絶対的な自信がありました。「大丈夫、お母さんたちのことは、私が楽に死なせてあげるから」そう言ったのは約10年前の、ひよっこナースの私です。

その難しさに気付いた今は少し、不安です。両親には、ただ、生きていてほしい。私の前からいなくならないでほしい。その気持ちを振り切って、「一切の延命治療を希望しません」ときっぱり言うことができるだろうか。いや、私は揺るがない。そうすることがきっと、最後の親孝行になるはずだから。

 

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